2012年10月12日
常識という名の『虚構』 (その1)
人に限らず、どうやら生き物はその生きている自分の周りの環境を
全てだと信じて生きているようだ。
池で泳いでいる鯉は、その小さな池が世界の全て。
鯉は、そんなことは考えないだろうが。
江戸時代以前には、自分の生まれた小さな村から、生涯一歩も出るこ
ともない人もいた。それらの人々にとっては、村の自分の周りで起こ
ることが全てであり、村の昔からある習慣を守って生きていくことが
重要であったろう。
その村で生まれて自分が習い覚えたことを、正しいことだと信じて生
きること以外に術がなかった。
昔の人をこのように論評するのは簡単なことだ。 しかし、これだけイン
ターネットなどが進歩した世界に住む我々の方が、情報が氾濫している割
には、むしろ巧妙に組み上げられたこの『虚構の世界』に嵌まり込んでい
る可能性が高いと考えています。
連日流されているテレビからの情報やニュースなども、映像や証言は真実
だとしても、それらは全体情報のごく一部でしかないことを深く理解する
必要があります。
それらの得られた情報を、自分の経験や知識及び感性で取捨選択し、批判
的に再構築して、自分のものにする能力を『メディアリテラシー』と言い
ます。
この時代に生きる我々こそが、この『●●●リテラシー』が本当に必要だと
思いますね。
そんなほんの一例。
関東地方では、骨壷を丸ごとお墓のカロートに入れるのが普通のことである。
しかし、名古屋辺りから関西や九州にかけては、カロート内の土の上に、骨壷
からご遺骨を取出して置く。
こんな単純な違いであるが、このことを見たり聞いたりする機会がなければ一
生知らないこととなる。事実、知らない人は多い。
今後は、このブログで一歩踏み込んだことも書いてみたいと思っています。
限りあるときを輝いて!
オリジン研究所
全てだと信じて生きているようだ。
池で泳いでいる鯉は、その小さな池が世界の全て。
鯉は、そんなことは考えないだろうが。
江戸時代以前には、自分の生まれた小さな村から、生涯一歩も出るこ
ともない人もいた。それらの人々にとっては、村の自分の周りで起こ
ることが全てであり、村の昔からある習慣を守って生きていくことが
重要であったろう。
その村で生まれて自分が習い覚えたことを、正しいことだと信じて生
きること以外に術がなかった。
昔の人をこのように論評するのは簡単なことだ。 しかし、これだけイン
ターネットなどが進歩した世界に住む我々の方が、情報が氾濫している割
には、むしろ巧妙に組み上げられたこの『虚構の世界』に嵌まり込んでい
る可能性が高いと考えています。
連日流されているテレビからの情報やニュースなども、映像や証言は真実
だとしても、それらは全体情報のごく一部でしかないことを深く理解する
必要があります。
それらの得られた情報を、自分の経験や知識及び感性で取捨選択し、批判
的に再構築して、自分のものにする能力を『メディアリテラシー』と言い
ます。
この時代に生きる我々こそが、この『●●●リテラシー』が本当に必要だと
思いますね。
そんなほんの一例。
関東地方では、骨壷を丸ごとお墓のカロートに入れるのが普通のことである。
しかし、名古屋辺りから関西や九州にかけては、カロート内の土の上に、骨壷
からご遺骨を取出して置く。
こんな単純な違いであるが、このことを見たり聞いたりする機会がなければ一
生知らないこととなる。事実、知らない人は多い。
今後は、このブログで一歩踏み込んだことも書いてみたいと思っています。
限りあるときを輝いて!
オリジン研究所
Posted by オリジン研究所 at 12:16│Comments(0)
│暮らしと葬儀のあり方