2006年11月03日
あ~上野駅!
人に会うために、何年ぶりかの上野駅。
上野公園への階段
急に思い立ち、デジカメを持って出かけました。
今から37年前、和歌山の田舎から、大学受験のために東京に出てきました。
当時東京で知っているところといえば、何時も田舎でプロレス中継を見ていたときに映っていた、今で言う銀座4丁目の角にある丸い三愛ビル。そして、上野の西郷さん位でしょうか。
2月に受験が終わり、落ちるなどとはつゆ思わず、翌日から住み込みで働けるバイトを探しました。
入学金とかアパートを借りるお金を作るためです。
「そうだ、上野に行ってみよう!」
そして、アメ横から忍ばずの池の周りを捜し歩いて、一枚のポスターを見つけました。
それが、「蓬莱閣」という中華料理店でした。
そして、翌日からアルバイトをすることに・・・
田舎者の自分にとって、その時まで餃子など見たことも無く、まして、高級な中華料理など名前も知らない状態でした。 いろいろと面白いエピソードがたくさんありますが、機会があればそれも書いて見たいと思います。
「蓬莱閣」は、忍ばずの池の畔に今もありました。
建物を眺めていると、18~19歳の自分の姿が鮮明に浮かんできます。
4月の上野のお花見の頃。 5~6人分のコーンスープが入った大きなスープ皿。 余りの混雑でテーブルの上に置くスペースが無く、しっかりと持って運んだんですが、熱すぎて重すぎて、遂に満席状態の床に落としてしまったこと。
お客さんから下げた料理で、残っていた大きなトンポーロや餃子を、厨房の手前で内緒で食べたときのなんと美味しかったことか。
しばしそんな感傷に浸ってから、約束をしていた人と、西郷さんの銅像前で落ち合いました。
そして、約2時間ほど、初対面であるにも拘らず、本当に深いレベルの話しが出来ました。
「今度は、お酒でも酌み交しながらお話しをしましょう・・・!」と言って、握手をして別れました。
楽しく有意義なひとときでした。
限りあるときを輝いて!
ライフケア研究所地図はこちら
日々の生き方から、人生の仕舞い方まで
上野公園への階段
急に思い立ち、デジカメを持って出かけました。
今から37年前、和歌山の田舎から、大学受験のために東京に出てきました。
当時東京で知っているところといえば、何時も田舎でプロレス中継を見ていたときに映っていた、今で言う銀座4丁目の角にある丸い三愛ビル。そして、上野の西郷さん位でしょうか。
2月に受験が終わり、落ちるなどとはつゆ思わず、翌日から住み込みで働けるバイトを探しました。
入学金とかアパートを借りるお金を作るためです。
「そうだ、上野に行ってみよう!」
そして、アメ横から忍ばずの池の周りを捜し歩いて、一枚のポスターを見つけました。
それが、「蓬莱閣」という中華料理店でした。
そして、翌日からアルバイトをすることに・・・
田舎者の自分にとって、その時まで餃子など見たことも無く、まして、高級な中華料理など名前も知らない状態でした。 いろいろと面白いエピソードがたくさんありますが、機会があればそれも書いて見たいと思います。
「蓬莱閣」は、忍ばずの池の畔に今もありました。
建物を眺めていると、18~19歳の自分の姿が鮮明に浮かんできます。
4月の上野のお花見の頃。 5~6人分のコーンスープが入った大きなスープ皿。 余りの混雑でテーブルの上に置くスペースが無く、しっかりと持って運んだんですが、熱すぎて重すぎて、遂に満席状態の床に落としてしまったこと。
お客さんから下げた料理で、残っていた大きなトンポーロや餃子を、厨房の手前で内緒で食べたときのなんと美味しかったことか。
しばしそんな感傷に浸ってから、約束をしていた人と、西郷さんの銅像前で落ち合いました。
そして、約2時間ほど、初対面であるにも拘らず、本当に深いレベルの話しが出来ました。
「今度は、お酒でも酌み交しながらお話しをしましょう・・・!」と言って、握手をして別れました。
楽しく有意義なひとときでした。
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Posted by オリジン研究所 at 11:08│Comments(0)
│暮らしと葬儀のあり方